母親について考える。お互い心地よい距離感とは
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今月は母親の誕生日がある。
久々にちゃんとした手紙を書いた。
なぜか知らないけど、号泣しながら書いた。
自分が怖すぎる。
家族のことを考えると、しばしば視界がぼやける。
そのうち鼻がつまる。
「いつか」のために買っておいたかわいい便箋が役に立った。
字は相変わらず汚くて、曲がったりふにゃふにゃしている。
…これは照れ隠し、と捉えてほしい。
「ありがとう」とか直接言ったことはない。
そういうことは言えないのだ。
だって、気恥ずかしいじゃん。
「いつまででも親がいると思ったら大間違いだよ」
幼い頃からずっとずっとずっと言われていることの意味をハタチを過ぎてからようやく「ちゃんと」わかるようになってきて、たまには伝えておかないとな。と。
そんな気持ちで筆、ならぬボールペンをとった次第。
お笑い芸人ピースの又吉さんが、何かのエッセイか対談で
「親は子を無条件で理解してくれるものだと思っていたけど、噛み合わなかったり意外とわかって欲しい時にわかってもらえない」というようなことを言っていた。
あぁ、そういうものなんだなぁ、、、
しみじみと、過去を薄ぼんやり振り返りながらそれが普通なのか、と安心した。
そう。安心。
お互い分かり合えるところだけをすり合わして、何か違うぞ、と思うことは「そうなんだぁ」「ふーん」くらいがちょうどいい。
その代わり、やるべきことは卒なくこなしておくのがポイント。
どんなことでも、距離感って大事。
四六時中、顔を合わせていたり同じ空間にいるのは、私にとっては息が詰まる。
物理的に距離を取り、友人と遊ぶ約束をするかのように連絡を取って出掛けて、また明日会うような気軽さでさらっと手を振って、さようなら。
今はこれが心地いい。
そして、ありがたみを感じるのだ。
はっぴー・ばーすでい。
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