デザイラストレーターの演劇もろもろレポ

本のこと、物語のことを考えているフリーランス/デザイラストレーター。 高等学校教諭免許(国語)保持 主に読んだ本のことや舞台観劇レポ。 ◆Twitter @mei_le20

劇団た組 今日もわからないうちに 観劇レポ・感想

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三軒茶屋駅 シアタートラム

劇団た組 「今日もわからないうちに」

 

近所へ軽い散歩かと思ったら山あり谷ありな登山上級コースに迷い込んでいた…。

 
とにかく泣いたり笑ったりおののいたり驚愕したりいろんな感情が渦巻いた2時間だった。
 
 

人様の家にお邪魔しているようなリアリティ

卓球のピンポン球を打ち返しているような軽やかなテンポで連なっていく会話たち。

 

 

すごく生身なやりとり…だけど、わたしはあんなに早く日常会話できないなぁと思ったり…
頭の回転が速い人の会話のような。

 

 

でも、家族との何気ない会話や気心の知れた友達との会話は、その場のノリや雰囲気でへんな合いの手いれたり、とりあえず返事したり、気楽に話していることもあるなぁとも思った。

 

 

端から見るとあんなテンポで繰り広げられているのかも。
 
それが、リアリティにつながっているのだろうか…。
 
 
 
 

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シリアスでユーモラス

 
帰る家がわからない…。
ふつうならばどうしたって忘れることができないことが、ふと分からなくなってしまう怖さ。
 
 
娘の雛の手を引き、必死にゴールがわからない道を走るシーンでは、ゆるやかな音楽がだんだんと加速して客席のわたしの気持ちを泡立たせる。
立ち上がることが出来ないので衝動を抑えていると、涙が出た。

 
ふと物語冒頭の母・恵が、泥だらけになった娘のプリントを「もう、いやだっ…」とあくせくしているシーンを思い出した。
 
 
あの日常と少しずつ ゆがんでしまう日常が手のひらを返したようにパタリと簡単に一変して、空恐ろしくなる。
 
 
でも日常は待ったなしに続いていって…。


 
 
胸がぎゅっと掴まれるような場面もあるが、「妻を殴って埋めた」という突然の祖父の告白によりまたパタリと急変し「サスペンス」となる。
 
…でも恐ろしく怖いだけじゃない。
 
これまでの色々な現実的な問題と、
目の前の「どうしようもないおじいちゃん」を娘の雛が抑えきれず手を出してしまう状況は、
リアリティと突拍子もない展開が共存していて演劇らしくて、救われた。

 

 

ほっとした、というか。

 

 


状況はどうあれ、気づけば、家族3人力を合わせて困難に立ち向かっている。


彼女彼らは至って真面目でド真剣にその時間を生きているが、その様子を客観的に垣間見ているわたしたちには、どこかズレていておもしろく感じてしまう。


まるでチェーホフの作品を見ているような……。
そんな「ズレ」が楽しめる作品でもあったなぁと思った。

 

キャストさんについて

 

大空ゆうひさん(母・恵)

 

日常が滞りなく流れるように、ふんばるお母さんそのものだった。あぁ、この会話わたしも母としたなぁ…とか、

 

言っていた覚えがないのに、こんなこと言ってたなぁ…と思わせてくれる自然なお母さんだった。

 

そして、とてもやさしい人なのだなということが伝わる。

(ゆうひさん自身はもちろんだが、恵という人物が、という意)

 

 

 


親が言葉遣いを正そうとするのは、他人に対してやさしい人になってほしいという願いからではないかと、今回改めて自分の記憶を振り返り考えることが出来た。

それは、女の子であっても、男の子であっても。

わたしは幼い頃、学校で粗野な言葉遣いをしている友だちが何となく新鮮で、
うっかり家でも話してしまったことがある。

そんなとき、決まって
「◯◯って言いなさい」と正された。
それから、「めんどくさいって言わないの」とか「ちゃんと挨拶しなさい」とか。


…少し話が反れたが
 
娘がソフトボールをやっているのを良しとしない恵の父親に「あの子がやりたがってるからあの子の前では(否定することは)言わないでね」と釘を刺すなど、やっぱりやさしい。

 

 

 

 大事な娘だからひとつひとつの行動が気になるし、見えないところで「ちゃんと」しているか気になって仕方なく、時々その度が過ぎてカリカリしてしまう、、。

 

思春期にはそんな母の影が疎ましくも感じるが、社会人となったいま、あれは「心配性」からきていたのかな、、としばしの思考の旅へ飛んだ。

 

 

 

 

池田朱那さん(娘・雛)

彼女は十代ということで、雛とも年齢が近くまさに等身大だった。

 
家族と話している話し方とちょっと気になる男の子と話す話し方、先生と話す話し方。

 

どれもすこしずつ違うけど、全部彼女自身であるし、でもそれを意識せず生きているということをわたしたちに見せてくれていて、そのリアルさにぞわりとした。
(ちょっと伝わりづらい、かな、、うーん難しい)

 
自分じゃわからないけど、きっと話す人によって顔の動く筋肉も声のトーンも違うのかもしれない…と思わせてくれた。

 

それと、とにかく感情があふれている!

 

 

母親の事情を知り公園でぽつりぽつりと話す彼女は、とてもやさしい声をしていた。

声の端々に涙をにじませながら「おなか大丈夫(すいてないよ)」と気遣ったり、「へんじゃないよ」と安心させようとする。

 

 

ほんとうにその場で感情が動いて自然と涙しているのが、こちらにもダイレクトに伝わってきて何度かもらい泣きをした。

しかもそのシーンが思ったより長く、はやく、お父さん迎えに来てくれないと、、わたしの鼻水がとまらない、よ、、、と限界を迎えそうだった、、
 
それほど、見ている私は心打たれました。


子どもに気遣われるって、成長の嬉しさとちょっとのはがゆさがあるんじゃないかなぁ…と想像する。わかんないけど。

 

 

 

 

鈴木浩介さん(父)

(お父さんの名前わすれちゃった…)

 

お父さんの変化がいいなぁ…とぐっときた。

 

物語冒頭では、家庭にちょっと無関心で省エネなお父さん。

 

休みの日にでかい体をごろりと横たわせ邪魔もの扱いされてしまう、マイペースなお父さんで、「うわぁ、居そう…」とこれまた、ぐっとくる。

 

 

そんなお父さんは、実は外で若い女の子と会っている、なんて……。

 
人は見かけによりませんね、と冷たい視線を送りたくなったけれど、
家庭の顔と若い女の子の前の顔はそんなに変わっていなくて、なぜか安心した。

 

 

 

そして、妻がたいへんな状況で「支えなきゃって」…と
関係をすぱっと断ち切ろうと話す場面はどこまでも静かで潔くて、
きっと彼は自分に関心のある誰かに話を聞いてほしかったのかなぁ…とやさしい気持ちになった。

 

 

芸能人が結婚した、よく見るあの人だよ、と言っても誰も一ミリも関心を持ってくれないのだもの。

 

そんなつまらない日常から一瞬でも向け出したかったのかもしない。
なんて想像する。

 

 

 

 

 

そのほか気になった登場人物

風藤康二さんのお医者さん

パンフレットの座談会にも

「お客さんが一瞬ほっとする感じ」

と記載されていたけれど、

まさに風藤さん演じるお医者さんのふわっとした雰囲気と若干のいいかげんさにくすりと笑った。

 

「忘れてものごとがうまくいくことってあるじゃないですか」

「そんなに気をはらなくても」

 

そう諭すように話す彼の言葉を心のなかで反芻した。

もう少し気楽に生きてみてもいいかもしれない、そんなふうに思えた。

……でもわたしの担当医にはなってほしくない、かも…!笑

とか。

 

 

 

 

まとめ、みたいな

……などなど。

午前午後と二度観劇して、劇場を後にしてからはしばらく頭が空っぽだった。

たった今見た出来事がまばらにフラッシュバックして、え、でも今思い出していることって「たしか」ではないのかもしれない、よなぁ…とか。

 

なので、セリフとかはたぶん正確じゃないです。

雰囲気で、お願いします。

 

あと、男であること、とか女であること、とか

セットについてなどまだ考えたい…というか疑問があるのでまた書こうと思います。

 

ひとまずは、長々とお付き合いありがとうございました!

 

色々考えたけど、こういう何気ない日常を誇張せずありのまま再現してみる(それでいて演劇的)という作品はとても好みで最高に楽しかったです!

 

 

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