映画「火花」に遭遇
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ただ今上映中、「火花」(2017年11月)
お笑い芸人ピースの又吉さんが芥川賞を受賞したことで非常に話題となった。
小説もドラマも読了・視聴済なので、映画はどうだろう、と
コンプリートしたい気持ちで映画館へ。
結果、映画とドラマを足して二で割るとすっきりするかなー、という感想。
やはり、2時間に収めるって難しいのだな…と。
映画はドラマのハイライト版、な感は否めないけれど、
人物を絞ったことによりより話の流れが明確化されたような気がする。
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ドラマの良いところは、
見せ場となるシーンを印象的にいくつか提示している点と、
素朴でリアリティのあるキャスティングがされている点。
これは、わたしが俳優さんに詳しくないからだけれど、俳優さんに他の役を連想させる「イメージ」がない分、匿名性が強まり不特定多数の人に「これは自分のことだ」と重ね合わせることができる余白が生まれる。
そして、どんなに強い想いがあってもままならない世の中、という無情さがよく表れているのではないか。
映画で桐谷健太が演じた神谷は、やはり、もう少し突き抜けた感がほしかったように思う。時間的に挿入するエピソードが少なくなってしまうのは仕方ないが、
コップ一杯ほどの「手に負えないあほらしさ」を足してもらえると良かったかな…と。
一方、映画版のいいなと思った点は、作中で徳永がぼけるシーンや相方にキレて冷静になろうと神谷に電話するシーンなど、「笑える」シーンを分かりやすく面白くしている点だった。
恥ずかしながら、小説を読んでいたときもドラマを見たときもぼうっと見ているだけでは「ぼけ」を「ぼけ」と認識できず笑うところなのか真面目な台詞なのか気がつけなかったのだ。
しかし、三度目の映画表現にして、やっと
「あ、この台詞はこういうぼけで笑うところだったのか」とはっとし、
分かりやすい構成、演出だったなと感じた。
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原作があったりドラマが先行していたりする作品は、
比較されることが往々にしてあるけれど
わたしは媒体が変われば表現も変わって当たり前と思っているから、
あのシーンがない、あの描写が消えた
と、嘆くことはあまりないのだけど、
ひとつ、、、
「インコちゃんただいまぁ」
のネタ合わせエピソードは、
見たかったなぁ……