デザイラストレーターの演劇もろもろレポ

本のこと、物語のことを考えているフリーランス/デザイラストレーター。 高等学校教諭免許(国語)保持 主に読んだ本のことや舞台観劇レポ。 ◆Twitter @mei_le20

ことばを受け取るということ-さユりミニライブ・池袋-

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酸欠少女さユりちゃんの

CD予約会に伴うミニライブを観覧しに

エソラへ。

彼女はいつでも全力だ。

ことばを発するということに敏感で

インタビュー記事を読んでいても

慎重にことばを選び発言しているのが伝わる。

デビュー曲である「ミカヅキ」をきっかけに

彼女のそれまでの路上ライブ映像などから

一気にファンになった。

歌を歌って生きたいんだ

という決意と世の中に真っ向から

対峙しているような気迫に飲まれて、

画面越しであるのに

涙した。

彼女はいつでも全力だ。

発表曲が次々とアニメとタイアップし

彼女を知る輪が広がってきた。

それは嬉しいこと。

でも同時に受け取る側も多用してくる

ということでもある。

彼女は曲紹介で

どんな想いをその曲に込めているのか

伝えてくれる。

そこには彼女なりの思考・哲学が込められていて、

その曲に、

ほんとうに ほんとうに

大切に込めている。

(とわたしは思っている)

新曲「月と花束」の紹介では

「何かを信じるということは別の何かを信じないということ」

「何かを捨てていく、そんな自分もひっくるめて生きていく」

大意だがこんなコメントをくれた。

それを「メンヘラ」と捉える人が

いるならば、その人はきっと人生において

深く考え込んだり、究極の選択を自分で行った経験がないのでは

と、たった今ブログを書いていて思った。

わたしは、さユりちゃんのそういった

決意に満ちたコメントにいつも

救われている身だから。

上手くいかないけど保証もないけど

「前に進む」

という選択を教えてくれた。

曲を作って生きていくんだ

というように、強い決意がないと

ほんとうにやりたいことには

辿り着かない

ということを教えてくれた。

わたしもいくつもの「後悔」

をしながら、やっぱりすきなものに

すがりつく。

そんな自分を選択できているのは、

さユりちゃんの「ミカヅキ」に出会えたから。

大げさだとは思うけど、

でもやっぱりわたしは、彼女の音楽に

背中を押された。

ここ最近はさユりちゃんの曲をあまり聴いていなかったけれど、

(そもそも彼女の音楽は

私の中で毎日ループするようなものではなく、

内なる自分を鼓舞するためのもの)

昨日、久々に彼女の生の歌声を聞いて、

ことばを受け取って、

改めて

今頑張っていることや、

なぜこの場所に立っているのか

ということを再認識し、

また「進もう」と兜の緒を締めることができた。

ありがとう!さユりちゃん!

それはまるで

ミサに通い神父の説教をきく

信仰者のようだった。

厳かに、つつましく、

聴く。

……こんなことを言ってしまうと

信者こわい

なんて言われてしまうかもしれないけど、

そこまで入れ込んではいないですよ

「信仰者」と例えてしまったけど

どこまでも

わたしとあなた(さユりちゃん)

同じ立ち位置で

ことばを受け取っている

もっと彼女のことばを

必要としている人のもとに

届くといいなぁ……